ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

クラシック音楽の革命児、エリック・サティは二流と誤解されてた。

f:id:gunjix:20190107143038j:plain

「サティの音楽はオシャレだけど中身がない」正統派のクラシックファンからよく聞くコトバだが、エリック・サティは「そこにこそ」音楽の本質を求めたまさに「クラシック界のピカソ」と呼べる前衛的な音楽家だった。クラシック音楽が一部の限られた身分の人たちがコンサートホールでお行儀良く聴くものであったのを、サティは一般大衆に向けた音楽を作ったり、街に溢れる騒音(ノイズ)自体を音楽に取り入れたり、BGMのように「聞き流す」音楽に取り組んだりとシンプルと思われながらも現在では「現代音楽の祖」と呼ばれる楽曲を数多く残している。日本でサティのよく耳にするBGM曲といえば「グノシェンヌ」や「ジムノペディー」だ。(youtube参照)いずれの曲も、家具のようにそこにあっても日常生活を妨げない音、意識的に聴かれることのない音楽、というものをサティがねらって創った名曲なのだ。「生活の中に溶け込む音楽」というサティの思想を具現化した曲は「家具の音楽」とも呼ばれている。100年前のある日、サティは「家具の音楽」と題した曲をコンサート会場で実験的に演奏した。プログラムには「休憩時に演奏される音楽をどうぞ聴いてくれませんように……くれぐれも」と注意書きが添えられて。しかし休憩時にこの曲の演奏が始まると、聴衆はこの曲に興味を示し、自分の席に戻って静かに聴き入ろうとした。そこでサティが「おしゃべりを続けて!」と呼びかけたものの聴衆は会話をやめて黙って曲に耳を傾け続けたと言う。「意識的に聴かれたくない音楽」というサティのねらいはこのコンサートでは失敗したかのように思われたが、それから100年の時を経て、サティの音楽は彼の意図した通りに「家具のように」現代人の心に自然な「安らぎ」を与えてくれるBGMとしての評価を得たのは確かな事実だろう。