
直木賞作家の阿刀田高氏の著作『90歳、男のひとり暮らし』の中に、年を取れば誰もが気になる「お墓」の話が出てくる。「生きているうちから“死んでも私のこと思い出してほしいな”などと敬愛のようなものを求めるのは、だれにもある心理だろうが(死んだらなにも求められないはずだから)これは言わば生きている今にとって都合のいい注文なのであり“死は無である”と信ずる私には適切ではない。それを墓に頼るはずもないのだ。無であることは嬉しい。なまじ天国だの地獄だのがあると思うと生きているときから苦しい。気になってしまう。残り少ない年月を好きに暮らしてパッとすべてがなくなればなんの苦労も屈託もない。屈託を感じることもないのだ。 かくて墓のことはどうでもいい、となる。とにかく2、3坪の土地を入手してりっぱな墓石を置くなど、あれは(やりたい人がいれば私とは無関係だが)やめてほしい。もう一度、繰り返すけれど、私にとって“死は無なのだ”と今は固く信じている。この考えは確かに生きていく叡智として、希望として、謀(たくら)みとして、私以外の人々の心に残っていくだろう、と、これも信じている。もちろん死後を案ずる釈迦牟尼もキリストもマホメットもみんな尊く、偉いけれど、皆様はそれぞれどうぞご随意に。90歳の私は無を選ぶ。無を信じている。