世界的な衣服デザイナーで文化勲章受章者の三宅一生氏が、84歳で死去した。デザイナー『イッセイ・ミヤケ』の名は、パリやニューヨークだけでなく、インド、東南アジアなど全世界に広く知られ、彼のファッション業界における功績は、たとえるなら、ソニーのウォークマンの発明に匹敵すると評される。平面の布を立体の身体にまとわせる「一枚の布」の発想は、西洋の伝統的衣服観に一石を投じ、世界的大ヒットとなった作品「プリーツ・プリーズ」⬆は、体と布のひだが作り出す美しさから〝着る彫刻〟とも評され、国や年齢、性別を超えて愛される三宅氏の「代表作」となった。その三宅氏は、2009年7月14日『ニューヨーク・タイムズ』への寄稿 「A Flash of Memory」 の中で広島での被爆体験を初めて公表。三宅氏は、母を原爆症で失い、自身も骨膜炎を発症したが『原爆を生き延びたデザイナー』というレッテルを貼られたくなかった」のを理由に被爆体験について沈黙を続けてきたが、2009年4月にアメリカのオバマ大統領がプラハでおこなった核廃絶についての演説が「語ることに気乗りしなかった自分の内側の深い場所に埋もれていた何かを呼び覚ました」と寄稿の動機を語った。三宅氏は広島の原爆について「原爆の色、いまでもイメージが浮かんでくる。いやな色だ」と語り被爆体験を語ることについて、「A Flash of Memory」の中で「個人的かつ倫理的責務を感じたから」と述べオバマ大統領に広島訪問を促し、これが2016年アメリカ大統領初の広島訪問を実現することになった。奇しくも広島の8月6日「原爆の日」の前日に亡くなった三宅一生氏、ご冥福を祈りたい。