ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

ノーベル賞作家カミユの、スポーツカー事故死の謎。

理性を持った人間が、病気、死、災禍、殺人、テロ、戦争、独裁主義など、人間に襲いかかる様々な「不条理な現実」に目をそむけず見つめ続ける「反抗心」を持つことが、人間性を脅かすものに対する人々の連帯を生む、と唱えた不条理主義作家アルベール・カミユ。43歳の若さで1957年ノーベル文学賞を受賞した。ノーベル賞受賞後、カミュはプロヴァンス地方のルールマランに家を構え、しばしばパリとの間を往復する生活を送っていた。1960年、友人ガリマールが運転するスポーツカーでパリに向かう途中、立ち木に衝突、助手席に乗っていたカミュは即死した(⬆上写真)。ノーベル文学賞を受賞して2年あまりの若すぎる死だった。事故の原因は、運転していたガリマールがスピードを出しすぎ運転のコントロールを失ってタイヤがパンクした事が原因と考えられている。クルマの後部座席に居て助かったガリマール夫人によると、衝突事故の直前、ガリマールがスピードを上げると、カミュが彼に向って「何をそんなに急いでいるのか」と聞いたという。カミュは自動車でスピードを出すのが嫌いで、自分で運転するときはひどく注意深いドライバーだった。「自動車事故で死ぬことほど馬鹿げたことを思い付かない」とまで言っていたという。パリの新聞「Paris-Presse」紙はカミユの死を「不条理」というワンワードの見出しで伝えた。それまで不条理の思想を追求し書き残してきたカミュの死を、リアルに表現した言葉だった。