ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

大震災16歳で体験の大谷翔平「忘れられない、忘れてはいけない」

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米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手が、東日本大震災から10年となったことを受け、「月日とともに薄れていくことも多い中で『忘れてはいけない事』『忘れられない事』も多いかと思います。自分自身できることは微力ではあると思いますが、少しでも被災地の力になれるようにまだまだ頑張っていきたい」と談話を発表した。大谷翔平選手が、10年前の3月11日に発生した東日本大震災に遭ったのは、まだ16歳の時で岩手県の花巻東高校の1年生だった(⬆上写真)。花巻東高校がある花巻市は、太平洋を望む岩手県の沿岸地域から車で約2時間離れた内陸地域だ。一度目の巨大な揺れが起きたとき、野球部の寮は停電し、学校の校舎一部にはヒビが入った。大谷を含む選手たちは室内で行なわれていた練習の手を止めて、すぐに避難した。大谷は地震発生直後に家族と連絡が取れたが、部員のなかには沿岸地域の出身者が多くいて、自宅を流された者もいたと大谷は当時の様子を振り返る。「練習中に、ものすごく大きな揺れがありました。そのときは、どれぐらいの規模の地震なのかわかりませんでしたが、ああいうことになるとはまったく想像できませんでした」「家族と連絡が取れない仲間もたくさんいました。安否がわからなくて不安だったと思いますし、すべてがなかなか前に進まない状況が続きました」と震災当時の恐怖について語った大谷翔平選手、忘れられない恐怖の体験をしたからこそ、あの大震災を「忘れてはいけない事」だとメッセージしたのだと思われる。