ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

ケネディ暗殺犯オズワルドを撃ったジャック・ルビーのその後。

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ケネディ大統領暗殺容疑で逮捕されたオズワルド(⬆上写真左)を大統領暗殺の2日後にダラス警察署の地下に忍び込んでテレビ中継中に突然射殺したテキサス州ダラスの ナイトクラブ経営者ジャック・ルビー。銃撃されたオズワルドが病院に運ばれると、彼は異常なほど興奮してオズワルドの生死について周囲に尋ね、死んだと知らされるとやっと落ち着きを取り戻したという。オズワルドとの面識については一切否定し、殺害の理由については「夫が暗殺され悲しんでいるジャクリーン夫人とその子供のため」と語った。逮捕されたあとダラスの拘置所で尋問されたルビーは、自分は身の危険を感じており「オズワルドを殺害したとき、自分は誰かに操られていた」とほのめかしたという。ケネディ暗殺の翌年1964年3月14日、ルビーは、ダラス地方裁判所で「悪意を備えた殺人」の罪で死刑判決を受けた。再審を待っている間、獄中のルビーは精神の安定をしだいに欠くようになり「何者かに細胞を注射された」「ワシントンの刑務所に移送してくれたら本当のことをすべて話す」など不可解な言動が見受けられたという。そしてケネディ暗殺から4年後の1967年1月3日、ケネディ、オズワルドが治療を受けたのと同じパークランド病院でジャック・ルビーは肺がんにより生涯を終えた。今だに多くの謎を残したままのケネディ大統領暗殺事件、ジャック・ルビーは大統領暗殺の「脇役」ではあったが、ケネディ暗殺犯オズワルドの口を封じてしまいこの暗殺事件のナゾを一層深めてしまった人物だった、と言えるだろう。