ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

少年愛の「黒歴史」を墓場へもって行ったジャニー喜多川87年の人生。

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SMAPや嵐などの人気男性アイドルグループを数多く輩出し、日本のエンターテインメント界を牽引してきた「ジャニーズ事務所」の創業者であり、社長だったジャニー喜多川氏が東京都内の病院で87歳で死去した。喜多川氏は「自分の顔写真を決して公開しない人物」として有名だったが、8年前の79歳にして自身の肖像写真を初めて撮影し一般に公開した(⬆上の写真)。しかしその顔写真は野球帽にサングラス姿で、本人の表情まではうかがい知れないポートレートになっている。ジャニー喜多川氏は、アメリカで生まれ戦後日本へ移住し、住まいのあった代々木で近くの少年達を集めて野球チーム「ジャニーズ」を結成、当時のミュージカル映画「ウェストサイド物語」のダンスシーンを野球チームのメンバーの少年たち4人と鑑賞し、触発されたのをきっかけに、「歌って踊れる」少年グループ「ジャニーズ」を57年前に結成したのが喜多川氏の芸能界との関わりのスタートだった。少年アイドルグループの生みの親として名を馳せながら喜多川氏には「少年愛者」という暗いイメージが絶えずつきまとい、2002年の最高裁判決では、喜多川氏の少年たちへの「同性愛行為」が事実だったことが認定されている。この問題についてジャニー喜多川氏の権力を怖れてか「同性愛」行為をタブー視する日本のマスコミ各社が報道を控える中、米国のニューヨーク・タイムズやオブザバー紙は日本マスコミのこうした態度を非難した。最後まで「少年愛者」であったことを自ら告白することはなく墓場まで持って行ったジャニー喜多川氏、生涯独身を通し、「少年愛者」とウワサされながらも、次々とあらたな少年アイドルグループを生み出し、世間の人気を独占し続けることで、彼の裏に潜んでいる権力を利用した「黒歴史」はいつのまにか浄化されてしまったかに思われる。