ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

アンパンマン作者、ナゼ「手のひらを太陽に」を作詞した。

「♬ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ」子供時代に誰もが口ずさんだ童謡「手のひらを太陽に」、この曲は作曲がいずみたく(⬆️右)、作詞がやなせたかし(⬆️左)なのだが、やなせたかしとは、言わずと知れたマンガ「アンパンマン」の作者である漫画家のやなせたかし氏だ。漫画家がなぜ作詞を?と不思議に思えるが、この曲が生まれた1961年当時、やなせ氏は42歳、漫画家としてはまだ売れておらず、NETテレビ(現在のテレビ朝日)の朝のニュースショーの制作を担当していた。その番組内の「今月の歌」として、自身で作詞した「手のひらを太陽に」を知り合いのいずみたく氏に作曲してもらい発表したのが、この曲だったのだ。当時のやなせ氏は、仕事は順調だったものの、マンガ業界に付いて行けず、先行きに不安を感じていた。夜中、眠くならないように暖房を消して一人で仕事をしていて、筆がとまったときに電気スタンドで手を温めていると指の間がきれいに赤く見え、子供のころに懐中電灯で手を照らして真っ赤に見えて面白かったことを思い出した。こんなにも落ち込んでいるのに血は元気に流れていると励まされたような気がして、「手のひらを太陽に」の歌詞がふと思い浮かんだという。それから12年後の1973年、子供向けマンガとして発表した「あんぱんまん」が幼児層に絶大な人気を呼び、さらに1988年テレビアニメそれいけ!アンパンマン』の放映が日本テレビで開始されて、やなせ氏は69歳にして一躍売れっ子漫画家になれたのだという。