ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

パリの「エルメス」日本の漫画家になぜ「社史」を描かせたか。

1997年、創業160周年を迎えたフランスの高級ブランドエルメスが、1837年の創業から現在に至るまでの「社史」を制作することになった。当時の社長は、エルメス家5代目のジャン・ルイ・デュマ・エルメス氏(⬆上左)だった。ジャン社長は、1984年に、かの有名な「バーキン」(Birkin)を発表するなど伝統にこだわらない新しいエルメスをつねに追い求めていた。創業以来初めてのエルメス「社史」を制作するにあたって、年に数回来日しジャポニスム(日本文化)に傾倒していたジャン社長は、日本独自の表現方法であり、日本文化として伝承されている漫画を用いて、エルメスの歴史や価値観をわかりやすく伝えることを目的に「漫画社史」を作ろうと思いつく。ジャン社長が日本の出版社の中央公論社に依頼した際に、乗馬用の鞍を作ることから出発したエルメス社の歴史の描き手は「馬に乗れる人であり、馬を描ける人である」ことを条件として出し、その条件に適ったのが漫画家の竹宮惠子さん(⬆上右)だった。彼女は、1993年モンゴル乗馬体験をして以来、乗馬をたしなみ馬体や馬術競技の知見もある乗馬が趣味の漫画家として良く知られていたからだ。エルメスが創業以来守り続けている伝統、美意識、卓越した職人技に感銘を受けた竹宮さんは、エルメスの創設から160年あまりにおよぶ歴史を一冊の漫画にまとめあげた。そうして誕生した漫画『エルメスの道』は、それまで社史を一切発刊してこなかったエルメスの歴史が、誰にでもわかりやすく表現された出版物として、大きな反響を呼んだのだった。後日譚だが、「エルメスの道」の作品性が高く評価された竹宮さんは、漫画家として日本初の京都精華大学マンガ学科の教授に就任している。