ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「千の風になって」最初の訳は、新井満ではなくデーブ・スペクター。

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私のお墓の前で泣かないでください。そこに私は居ません。千の風になって、あの大きな空を吹き渡っています」。2003年にアメリカ発祥のこの曲を日本語に訳してヒットさせたのは芥川賞作家の新井満というのが定説だ。新井氏は、2001年に妻をがんで亡くしたふるさとの友人を慰めるために『千の風になって』を作曲し、アメリカの原詩である 『Do not stand at my grave and weep(直訳:私のお墓で佇み泣かないで)』 を訳して自ら歌い、CDに録音したものがその2年後に大ヒットしたとされている。ところが、この歌詞が日本語で最初に紹介されたのは、新井氏が日本語に訳する16年も前の1985年、日本航空墜落事故で亡くなった歌手坂本九さんの葬儀の席だった。この時の葬儀委員長を努めたのが作詞家の永六輔氏、その永六輔氏の友人だったタレントのデーブ・スペクター氏が、坂本九さんの送別にふさわしい詞であるとして『Do not stand at my grave and weep(千の風になって)の日本語訳を永氏に手渡し、永氏がこれを朗読したのが日本で最初の「千の風になって」の歌詞デビューの瞬間だったのだ。だじゃれやジョーク好きの外人タレントとして人気のデーブ・スペクター氏、まだ無名時代の元大阪市長橋下徹氏のタレント性を見出しテレビの売れっ子にしたように、彼の「先見性」は36年前からホンモノだった。