ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

レノンの過剰な性欲に困り、メイ・パンを紹介したオノ・ヨーコ。

ビートルズ解散後の1973年、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが別居していた『失われた週末』と呼ばれる18ヶ月間にレノンは何をしていたかを追った映画『ジョン・レノン 失われた週末』が近日公開される。映画の元となったレノンと長年親交のあるジャーナリストのラリー・ケインが、レノンと18ヶ月間だけ愛人だった女性に直接取材して書いた伝記「失われた週末」を読むと2人が別居した原因が、実に興味深い。1973年半ば、当時40歳を過ぎたオノ・ヨーコは33歳とまだ若い夫ジョン・レノンの過剰な性欲に疲れ果て、別居することにした。そしてオノは当時レノンとオノの秘書兼雑用係をしていた中国系移民の23歳のメイ・パン(⬆上写真右)に対してレノンのセックスフレンドになるよう提案した。オノはレノンとうまくいっておらず言い争いをしては仲違いしていると説明し、レノンは他の女性に目移りするだろうと言った。更にレノンがパンを性的に魅力的だと思うと言っていたと伝えたという。パンは雇い主であるオノの夫であるジョン・レノンとの関係を始めることは絶対にできないと返答したが、オノはパンの抗議を無視し、すべて予定通り手配すると言い渡した。オノは後年のインタビューでこのやり取りが事実だと認めている。レノンとの交際をオノから強く促されたパン、そしてパンとの交際をオノから促されたレノンも最初は戸惑っていたが、最終的にはパンを追いかけることになる。1973年10月、レノンとパンはニューヨークを離れてロサンゼルスに滞在した。それから18ヶ月後の1975年2月、オノ・ヨーコは「喫煙習慣に新しい治療法がある」と言ってレノンをニューヨークへと呼び戻し、パンが翌日電話をかけるとオノはレノンは催眠療法の施術後で疲れ果てているので面会はできないと告げた。その2日後、レノンからパンに電話があり、オノと和解したので「2人の関係は終りだ」と告げたという。「失われた18ヶ月」とカッコ良く言うが、レノンの過剰な性欲が原因の「別居生活」の話に過ぎなかったようだ(笑)