ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「渡辺陸軍大将」が居たら日本は戦争に負ける事はなかった。

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「この男が生きていたら昭和史はもう少し変わっていたのでは?」と評価される陸軍大将渡辺錠太郎⬆をご存知だろうか。小学校中退のみの学歴で陸軍大将にまで登りつめたのは渡辺が唯一の例であり、貧農の家から身を起こし、陸軍大将・教育総監にまで栄進した立志伝中の人物だ。渡辺は軍上層部きってのリベラル派の教養人として知られ、第一次大戦末期に欧州へと派遣されドイツ大使館武官やオランダ公使館武官などを勤めた。第一次大戦終結後、渡辺は「戦争は軍隊と軍隊とだけの生やさしいものではない。勝っても、負けても、国民のすべてが悲惨のどん底に落ち入らざるを得ない。私は戦い破れたドイツ、オーストリーばかりでなく、勝った国イギリス、フランス、ベルギー、オランダなどもつぶさに見て来たが、どこもかしこもみじめな有様であった。日本も世界の列強にならねばならぬが、しかし、どうでも戦争だけはしない覚悟が必要である。どこの国でも軍事力が大きくなると、戦争がやりたくなる。だが、どんな事があっても、戦争ばかりはやっちゃあイケナイ」と語り、戦争で疲弊した欧州各国の現実をつぶさに見たことで、渡辺は「非戦」の思想を持つようになった。渡辺は「非戦」について「たとえ敵が攻撃をして来ても負けない、すなわち敵がわが国を攻めても勝つことができない、こういう備えがこちらにありましたらならば恐らく戦争は始まらぬと思います」と述べている。渡辺は日本軍の『攻撃精神の誤用』と『精神万能主義』を強く批判し、弱小国である日本は「非戦」であるべきだと説いたのだ。渡辺のこうした自由主義的な発想や意見は、当時の血気盛んな青年将校の憎悪を招き、1936年2月26日、渡辺は二・二六事件で若手陸軍将校達によって銃殺されてしまった。日本が軍人と民間人合わせて310万人の国民を失った第二次世界大戦が始まるわずか5年前の出来事だった。