第二次世界大戦末期における日本軍の玉砕戦法として知られる「神風特攻隊」。爆弾を搭載した戦闘機で目標の軍艦に操縦士ごと体当たり攻撃するという「戦死することを前提とした体当たり戦法」は、世界でも例を見ない過激な戦法であった。アメリカ軍が怖れた捨て身の戦闘機「KAMIKAZE」⬆。米国戦略爆撃調査団の調査によると、フィリピン戦〜沖縄戦までの日本軍の特攻機「KAMIKAZE」の損失数は2,550機、この内、米国軍艦に命中もしくは有効至近距離へ命中した特攻機は475機で、有効命中率はわずか18.6%に過ぎなかったと記録されている。戦後日本の教育で英雄視され神格化された「神風特攻隊」、そうした美談化の裏で「死ぬのはやはり怖い」と攻撃途中で引き返した「特攻隊員」が数多く居たことについて語られることはほとんど無かった。しかし実際には、特攻で出撃することへの精神的な躊躇「ためらい」や機体の不調を理由に帰還したり不時着により生還した特攻隊員は数多く存在した。陸軍の沖縄特攻では第六航空軍が作成した振武隊編成表によれば、特攻隊員1,276名中605名が生還、海軍航空隊も沖縄戦で延べ1,868機が出撃し896機が帰還もしくは不時着していることが判明している。軍の命令に背いた形で生還したほぼ半数の特攻隊員、彼らの「死ぬ勇気よりも生きる勇気」を選んだ人間らしい姿勢にこそ拍手を送るべきだと思いませんか。