歌の中で66回も繰り返される「ざわわ」という歌詞が印象に残る反戦歌「さとうきび畑」。作詞作曲した寺島尚彦氏が1964年、 第二次世界大戦末期の沖縄戦の激戦地「摩文仁の丘」を訪れ、風に吹かれるさとうきび畑を眺めて着想した作品だ。作曲から5年後の1969年(昭和44年)に森山良子がレコーディングしたが、ヒットすることは無かった。当時について森山良子は「作詞作曲の寺島尚彦先生からこの曲を頂いたとき私は21歳でした。戦争は私にとっては全く知らない世界です。わかったような顔をして歌うのは、沖縄の人に失礼なのでは?とても私には歌えないと思いました。アルバムに収録する際にも積極的に歌う気持ちになれませんでした。そしてこの歌から逃れるようになり長い年月が流れました。1991年に湾岸戦争が起き、自衛隊が海外派遣されることになった頃、母に言われました。「こんな時に愛だの恋だのばかり歌うのはおかしいわよ。あなたには歌うべき歌があるじゃないの」その通りです。今こそ「さとうきび畑」を歌わなければいけないと強く思い2001年に再録音したのです」。そして2005年の第56回NHK紅白歌合戦に出場した森山良子が「さとうきび畑」を歌い、「ざわわ」のフレーズは多くの人に知られるようになったのだ。ヒットするまで30年以上の歳月を要した反戦歌「さとうきび畑」、「風に涙はかわいても……この悲しみは消えない」という歌詞の終わりは、「戦争は悲しみしか生まない」という訓えとして、人々の胸を永遠に刺し続けるだろう。