ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

KFCのカーネルおじさん、本物のカーネルではなかった。

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アメリカのサイト「インタレスティングアンサーズ」に、ケンタッキーフライドチキンの創業者「カーネルサンダースは、本当にカーネル(大佐)だったのか」、という質問(⬆上の写真)があった。その答えは、サンダース氏はケンタッキー州都の隣町ヘンリービルで生まれ、10歳の頃から農場で働き、学校は14歳で辞め、農場の手伝いや市電の車掌として働いていたが、16歳のときに年齢を詐称して陸軍に入隊しキューバで勤務した。しかし彼の軍隊における経歴は一兵卒として終わっており、大佐(カーネル)どころか下士官にすらなっていない、と言う経歴だと言う。なのに彼はなぜカーネル(大佐)を名乗っていたのか。1930年サンダース氏は経営していたガソリンスタンドの一角に物置を改造した6席のレストラン「サンダース・カフェ」を始めると店は繁盛し、規模を拡大1935年には「ケンタッキー州の料理への貢献」が評価され、ケンタッキー州知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられたのがその始まりだった。「サンダース・カフェ」の目玉商品がフライドチキンであり1939年に導入された圧力釜を用いた「オリジナル・フライドチキン」の製法は、以後70年以上にわたってKFC「オリジナル・レシピ」として引き継がれている。国道沿いで繁盛していたお店が高速道路の開通で客が入らなくなるとサンダース氏は、アメリカ各地のレストランの経営者にフライドチキンの調理法を教えて歩合を得るというフランチャイズを始め、それがKFCの世界的な大成功への足掛かりとなったのだ。