
1980年代初め頃の日本では、アメリカ発のピザチェーン店「シェーキーズ」や「ピザハット」が展開していたが、いずれも苦戦を強いられていた。その理由は、ひとり当たりのチーズの年間消費量が米国では11〜12kg、ヨーロッパでは20kg台であるのに対し、当時の日本では1kg以下だった。チーズが好きでなければチーズをふんだんに使うピザも好きではないのは当然で、80年代当初の日本人は「ピザ嫌い」の人がほとんどだった。そんな中、ハワイ生まれの日系米国人で、1970年代に来日したアーネスト・比嘉氏⇧は、日本の伝統的な「出前サービス」と似ているピザのデリバリーサービスで成功したドミノ・ピザを日本に導入すれば必ず成功すると確信、ミシガン州の本社と契約、徹底したローカライズ(日本化)戦略でドミノ・ピザの日本市場への参入を図った。ピザが好きではない日本人の消費者にも注文してもらえるように、トッピングにイカやエビ、照り焼きチキン、ナスなど、米国では思いつかないトッピングを用意、さらに日本の消費者の舌に合うよう、よりバターの風味が強くマイルドなチーズを用意したりピザにマヨネーズをかけるという米国では思いつかない発想も採用した。さらに、米国のファストフード店は顧客満足度を高めるためにサイズを大きくするが、日本で重要なのはサイズよりも味。そこで日本では高品質のチーズと高品質のトッピングなど、味覚を重視したサービスに特化した。その結果、80年代のファストフード業界の1店舗の平均売上がマクドナルドやKFCで1カ月600〜700万円くらいの時代に、宅配のドミノ・ピザ1号店(渋谷)は月平均3000万円の売り上げを達成、チェーン展開の最初の1歩で大成功を収めることが出来たのだという。