天保13年(1842年)老中・水野忠邦による天保の改革によって浮世絵師の歌川国芳や国貞らの艶本が取締りによって絶版処分となった。さらに、役者絵や美人画などが出版禁止になるなど江戸中の浮世絵師は大打撃を受けた。こうした江戸幕府の理不尽な弾圧を黙って見ていられない江戸っ子気質の絵師「国芳」は、『源頼光公館土蜘作妖怪図』1843年(天保14年)で、表向きは平安時代の武将源頼光による土蜘蛛退治を描いたものと見せかけ、国家危急の時に惰眠をむさぼっているとして、時の将軍・徳川家慶を土蜘蛛を退治するどころか妖術に苦しめられている頼光に見立てて描き、主君が危機だと言うのにソッポ向く卜部季武を、天保の改革の中心人物、老中・水野忠邦になぞらえて描くなど反骨精神に溢れた大胆な浮世絵を描き、当時の江戸っ子たちの称賛を浴びた。国芳の大胆さは、山東京伝の読本『善知安方忠義伝』の挿絵で、原作では数百の骸骨と戦う物語を、一体の巨大な骸骨を画面いっぱいに描き込んで戦う迫力に富んだ構図に変える⬆️などユニークな作品が多い。『宮本武蔵と巨鯨』1848年(嘉永元年)では、武蔵の強さを表現するのに巨大な鯨と戦わせることでヒーロー武蔵の強さを伝えるなど、現代のアニメの表現に通じる個性あふれる浮世絵を数多く残している。ぜひGoogle画像検索で、ユニークな国芳作品をご覧あれ。