ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

北野武が成功したヒミツは、20歳の時に人生をリセットしたからだ。

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NHKファミリーヒストリーと言う北野武の家族の歴史を辿る番組を見た。この番組では、毎回出演するゲストの両親さらにはその祖父・曽祖父がどんな人物だったのかを調査して紹介してゆくという内容だが、今回は北野武と母親との確執の話が特に興味深かった。たけしの母親は異常なほどの教育熱心でたけしの兄二人は母親の言いつけ通りに大学の工学部に入学し、卒業後は堅実な道を選んでいる。たけしも母親の言いつけ通りに兄と同じレールの上に乗って大学の工学部へと進んだのだが、大学2年20歳の時に自分がいま置かれている人生に無性に虚しさを感じて大学を辞めてしまう。当然母親は激怒し「2度と帰って来るな」と勘当されてしまったのである。その母親との20歳での決別を北野武は番組内でこう表現した。「その瞬間、世界の色が変わって見えたね。」というのだ。母親が敷いたレールから降りて「自分ひとりの力で生きてゆこう」、というこれは言わば人生のリセットの瞬間だったに違いない。自分ひとりで人生を切り開くことは並大抵ではない。20歳の彼は、食べる事にも事欠きながら苦節10数年、毒舌漫才のビートたけしとして花開いたのである。その後の幅広い活躍ぶりは衆知の事であるが、今日に至るサクセスストーリーが、20歳で自分の手で人生をリセットした時から始まったというのは紛れもない真実だろう。普通の人間であったら大学の工学部を迷わず卒業し堅実なサラリーマン生活を送るのが無難な人生の選択だと思うが、北野武は違った。凡人であることを拒否したうえで、自からの才能を自分ひとりの力で徐々に花開かせていったのである。凡人として正しく生きることを厳しく説いた母親も立派だが、凡人で生きることを拒否して、非凡な自分の才能を磨き続けたその息子はまさに「出藍の誉れ」であろうか。