ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

戦国時代、敵の首で報酬をもらったサムライに海外が驚く。

 

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YouTubeにサムライが敵の首を取って報酬をもらう、という戦国時代の習慣について英語で解説した映像がある。敵の首を取って出世する、という武士社会のしきたりは、外国人にとっては、どうにも理解し難い事のようだ。この動画の解説を聞くと「15世紀から17世紀の戦国時代になって、敵の首を取る事はサムライの一般的な行動規範となった。戦場でその日の戦いが終わると、大名のもとにサムライ達が集まり、その日に取った首を披露する」「足軽が敵の首を取ってそれを主人に捧げることができれば、この足軽はサムライの身分に取り立てられることもあった」「斬首は時間がかかる作業だ。敵の頭を押さえつけて、刀で首を切り取らなければならない。激しい戦いの場では、スピードが要求される。武将や大名の多くが、この斬首にかかる時間の無駄に気づき始めた。これら諸々の問題を鑑み、斬首を禁止する武将も現れたが、これは逆に戦場で報酬を受けたり、名声を高めるためには首を取るしかなかった自分の部下達を怒らせてしまう結果に至ることもあった」。外国人にとって、敵の首を取ることで報酬を得たり、出世につながるというサムライのしきたりはあまりにも奇異に映るようだ。この映像では触れられていないが、織田信長が天正2年(1574年)の正月、浅井久政長政父子と朝倉義景の3人の首(頭蓋骨)を薄濃(はくだみ)=(金箔と漆で化粧)したもの、を酒宴で披露した(出典:信長公記)逸話はあまりにも有名だ。400年前、サムライという「首狩り族」が我が日本に存在していた史実は、海外の人達に知られたくない「黒歴史」と言えるだろう。