日本の侍は、なぜ西洋の騎士のように盾を持って戦わなかったのか、とSNS上で繰り返されている論争。日本では、古来から武器の主力が弓矢だったからだ⬆。 1467~1638年(応仁元年~寛永15年)の戦国時代 に記された戦に勝利した側が戦いの成果を調べるために作成した「軍忠状」(ぐんちゅうじょう)という調査報告書によると、戦で死亡した人の死因・怪我の原因は、弓矢が38.2%、鉄砲が23.7%、槍が20.0%、石が12.4%、そして刀はわずか3.7%であったと記されている。ひとつ間違えば命を失う戦場では、より遠くから相手にダメージを与えられる弓矢や鉄砲が最も合理的な武器であったのは当然の話しだろう。1185年 –〜1333年の鎌倉時代の軍記物語「平家物語」の中に、古参の武将が語った戦法に「相手と距離を取って、相手の鎧兜(よろいかぶと)のスキ間に矢を射よ。それでもダメなら馬を射て、敵が落ちたところを馬上から襲い、最後は刀で斬り殺せ」とあるように、弓こそが一番の武器だったのだ。左手に弓、右手に矢の侍は、両手が塞がっているため西洋の騎士のように片手に盾を持つことは不可能だったため手に持つ盾は日本では普及しなかったというわけだ。戦の武器は、やがて弓から鉄砲へと進化してゆくのだが、やはり最大の武器はいつの時代も「飛び道具」が一番だったのだ。