文化年間(1800年代)、45歳と脂が乗り切った浮世絵師となった葛飾北斎は、「読本」(長編小説)の挿絵に精力を傾けるようになり、中でも滝沢馬琴と組んだ『 椿説弓張月』の挿絵は、北斎生涯の代表作に挙げられている。魅力的なキャラクター設定、力強くも緻密な描写、明暗や集中線を活かした劇的な構図など、北斎は様々な創意工夫を凝らし、読本挿絵の芸術性を一躍高め、北斎は当時この分野の第一人者と称された。中でも『 椿説弓張月』の琉球王が周りの諫めを聞かず、「虬塚」を暴く、封印を解かれて出現する怪僧朦雲。百千の雷が一気に落ちたような爆音と閃光。そこにいた人たちがみな吹き飛ばされて宙に舞う、という壮絶な場面を北斎は、読本の見開きページを使って「劇画タッチ」で見事に表現して見せている⬆。この北斎の挿絵がX(旧ツイッター)に投稿されると、Z世代から様々な反応があった。「葛飾北斎、曲亭馬琴の読本の挿絵。 ラスボス(物語の最後に登場する最強の敵)登場のシーン。つよそう」「これジャンプじゃないぞ!江戸時代の書物なんだぞ!」「北斎が集中線という概念を生み出したとか聞いたけどマジ?」「でもやっぱスゲーな、筆しかなかった時代の絵とは思えん」「日本の漫画的表現はこの人が作ったのかな。ほんと北斎ってバケモンだな」「あきらかに江戸期の浮世絵・錦絵が現在の漫画文化に繋がってるんだなあ」。自らを「画狂老人」と名乗った葛飾北斎、その多彩な表現力には、只々驚かされる。