『カムイ伝』⬆『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』など忍者を扱った劇画作品で漫画の世界に新しい時代を切り開いた漫画家白土三平氏が89歳で亡くなった。白土氏の漫画作品には、マルクス主義や唯物史観があるとされ、大学生や知識人に読まれたことなどによって「漫画評論」というジャンルを生む契機となったといわれている。白土氏の描く忍者漫画は、実現が可能であるかどうかはともかく、登場する忍術に科学的・合理的な説明と図解が付くのが特徴であり、荒唐無稽な技や術が多かったそれまでの漫画とは一線を画するものだった。漫画の神様と称された手塚治虫は「白土三平氏が登場してから、子供漫画には重厚なドラマ、リアリティ、イデオロギーが要求されるようになった」と語り、白土三平の歴史漫画大作「カムイ伝」が大ヒットしたことに激しく嫉妬したという。白土の「カムイ伝」に触発された手塚治虫は、『カムイ伝』に対抗する作品として『火の鳥』を発表し、ともに全共闘時代の大学生に強く支持された。子供だけでなく、大学生や知識人層にまで広く読まれるあらたな「漫画」の時代を築いた白土三平氏。『忍者武芸帳 影丸伝』の最後の回で主人公の影丸が吐く言葉「我らは遠くより来た、そして遠くまで行くのだ」、これはイタリアのマルクス=レーニン主義者トリアッティの言葉の引用とされるが、白土三平氏の最後の言葉に相応しい、と思いませんか。