ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「ねずみ小僧治郎吉」、義賊ではなくカッコ悪い盗っ人だった。

江戸時代の後期、大名屋敷のみを狙って盗みに入り、人に傷を負わせることもなかったことから、後世には義賊として伝説化された大泥棒「ねずみ小僧治郎吉」。天保3年(1832年)5月8日日本橋浜町屋敷に忍び込んだ際に藩の侍に取り押さえられ北町奉行所に身柄を引き渡された。北町奉行の尋問に対し、次郎吉は総額1万2000両ばかりを盗みだしたと語り周囲を驚かせたが、この数字は誇張の可能性[がある。次郎吉は、合計99箇所の屋敷にのべ120回の侵入を繰り返し、3000両余りを盗み出したことが奉行の「取り調べ記録」に残っている。鼠小僧について「金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与えた」という「義賊伝説」があるが、鼠小僧の記録を見ると盗んだ金銭を分け与えた事実はどこにも記されておらず、盗んだ金の大半は、衣食住の贅沢に費い、その他は酒色遊興又は博奕の資本に使ひ、特別に貧民に施した形跡は無いとわかり、後年、鼠小僧の「義賊伝説」は否定されるようになった。また鼠小僧は武士階級が絶対であった江戸時代に於いて、大名屋敷を専門に徒党を組むことなく一人で盗みに入ったことから「義賊」とされたが、次郎吉が大名屋敷に限って盗みに入った理由について本人の自白によれば、「武家屋敷は外見が厳重なばかりで、屋敷内は警備が手薄で出入りが容易であったこと、屋敷内の奥向、長局は役人たちも遠慮して入らないため、万一見とがめられても逃げるのに都合がいいこと」などを挙げている。つまり、歌舞伎にもなった大泥棒「鼠小僧次郎吉」の実像は、「義賊」には程遠い実に格好の悪いただの「盗っ人」に過ぎなかったようだ