ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「自分の死」考えても意味がない、と知の巨人・養老先生。

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解剖学者で東京大学名誉教授、著書「バカの壁」でも知られる知の巨人「養老孟司先生」⬆。あるインタビューで「80歳を超えた今、ご自身の死を考えたことがありますか」という問に対してこう答えている。「いやぁ、あんまり考えないですね。どうでもいいと思ってます。死を3つの種類に分けて考えるとわかりやすい。一人称(自分)の死、二人称(肉親や知人)の死、それから三人称(赤の他人)の死です。自分の死というのは、すなわち一人称の死です。これってよく考えてみると、自分にとってはないも同然で、だから考えたって意味のないことなんです。だって、死んだら意識がなくなるんだから、当たり前でしょ。「あ、死んだ」って意識できるうちは、まだ生きている。だから、畳の上で死にたいとか、家族に囲まれて死にたいと願望を言っても、どう死んでも同じで、意味のないことです」。「最近は『終活』ブームなんていって、生きているうちに自分の死をコントロールしようとする人が増えているでしょう。これは「自分は何でもわかる」と思い込んでいる現代人の『病』だと思いますね。自分がいつ、どんなふうに死ぬかなんて、誰にも予測できません」。実に明快な答えである。養老先生は、「肺がんの原因がタバコであると医学的に証明されたらノーベル賞もの」と80歳を過ぎてもタバコを燻らせながら、自分の墓についても一切興味がないとおっしゃる、まさに「知の巨人」なのだ。