ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

狂気の画家、自らの死を3年前に描いたエゴン・シーレ。

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20世紀美術の中で最も個性のある画家を挙げるとすれば、クリムトと共にオーストリアの表現主義を牽引したエゴン・シーレ(⬆右の自画像)が思い出される。立体的に歪んだ描線のタッチ、そして従来の美術規範への大胆な反抗精神で描かれたその絵は一度見れば忘れられなくなる狂気を含んだ個性を放っている。エゴン・シーレは、精神的かつエロティックな作品の数々に、スキャンダルだらけのみだらな生活、悪評、スペイン風邪による28歳での悲劇的な死など、つねに狂気を孕んだでいるかのようなその生き様でも有名だった。シーレが亡くなったのは、彼の子を妊娠した妻が死亡した3日後、そして彼が生きてる間に叶えられなかった有名画家になる寸前のことだった。⬆上の絵(左側)は、「死と乙女」と題された1915年の作品で、エゴン・シーレが死の3年前に描いた作品だ。荒廃した幻想的な風景の中、死んだ男性の姿にやせ衰え、ぼろをまとった女性が寄り添っている。この作品は、エーディト・ハルムスと結婚する数ヶ月前に描かれた。そして、この絵を描いた3年後の1918年、妻となったエーディトは当時流行していたスペインかぜに罹り、シーレの子供を宿したまま10月28日に死去。シーレも同じ病に倒れ、その3日後の10月31日に亡くなった。つまり、この作品は、3年後の死んだ自分に寄り添う妻の姿を予感して描いたとも見て取れる。実際には夫シーレと妻エーディトの死の順序は逆になったが、3年後に起こる夫婦の悲劇的な姿を、まるで写し取ったかのような作品に思えてならない。ぜひ、Google画像検索で、エゴン・シーレの作品をご覧あれ。