ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

小泉八雲「耳なし芳一」は、妻セツのヘルン語から生まれた。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーンが1904年明治37年〉に発表した怪談「耳無芳一の話」は日本人なら誰でも知っている怪談話だ。アイルランド人のハーンは生涯を通じて日本語が上手く話せなかったが、日本の伝統的な怪談話「耳なし芳一」の物語をどうして書くことが出来たのか。物語の殆どは、妻であるセツ(節子)から口伝えで聞いたモノだった。明治維新後の島根・松江の没落士族の娘だったセツは、生活のため島根中学の英語教師だったハーンの邸宅に住み込み女中としてハーンの身の回りを世話していた。やがて二人は結婚⬆。セツは、子供の頃より見聞き読みした怪談などの昔話をよく覚えていて、それをハーンに聴かせた所、彼は、強く感銘し、以降セツに次々と「話し」をねだった。それも、ただ話を聴くのでは無くセツ自身の言葉として聴きたがった。賢い彼女は、そんな彼に少しでも応えようと日本語が話せないハーンにだけ通じる「ヘルン(ハーンの日本語読み)語」を使って日本の昔話を次々に聞かせた。セツが使ったヘルン語とは、例えば、シレーペー (sleepy 眠い)、ワールム (warm 温い)、コールド (cold 寒い)といった言葉だ。家が没落し学校に行けなかったセツが、「女学校でも出ていたらあなたのもっと役に立てたものを」と嘆くと、ハーンは、自分の著書が山積みされている書斎へ彼女を連れて行き「あなたのおかげでこんなに沢山の著書をものにすることが出来たのだ」と妻セツに向かって感謝の気持ちを伝えたという。