ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

マルコムXは、奴隷の名を捨てマルコムXになった。

1960年代、アメリカで非暴力で黒人差別撤廃を目指し公民権運動を主導したマーティン・ルーサー・キング牧師とは一線を画し、白人に対する敵意をむき出しにして、暴力も肯定し黒人差別と戦ったマルコムX。その個性的なネーミングはどのようにして生まれたのか。無知だった未成年時代、ニューヨークハーレムで、賭博や窃盗などの違法行為に手を染めていた彼は、20歳の時に逮捕され懲役8〜10年の刑で収監されると刑務所内の図書室の厖大な図書を読んで知識を深め白人による黒人奴隷貿易、黒人奴隷制度というアメリカの黒歴史を知ったことで白人憎悪の心情が形成され、自己と黒人を解放する理念を「ネイション・オブ・イスラム」=白人社会への同化を拒否し、黒人の民族的優越を説く宗教運動の中に見出していった。そんな中で自分のマルコム・リトルというアメリカ黒人の「姓」が本来の自分の姓ではなく、白人の奴隷所有者が勝手につけたものにすぎないと気付き、マルコムは1950年12月25歳の時にリトルという名を捨て初めてマルコムXと名乗ったのだ。そして1960年代、マルコムXはイスラムの聖地メッカ巡礼によって「ネイション・オブ・イスラム」の思想の偏狭さに気づき 「パン・アフリカ主義」(アフリカ大陸の住民と全世界に散らばったアフリカ系住民の解放及び連帯を訴える思想)へと大きく舵を切ったことで所属していた「ネイション・オブ・イスラム」の恨みを買い、組織の刺客によって39歳で暗殺された。知識を積み重ねることで自分を絶えず進化させ続けたマルコムX、道半ばにして暗殺された無念の生涯だった。