ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

プロ野球の父「正力松太郎」は、CIAの手先だったのか。

1936年日本初のプロ野球チーム読売ジャイアンツを創設し「プロ野球の父」と呼ばれ、1951年民間放送で初の日本テレビを創設し「テレビ放送の父」と呼ばれ、1956年日本初の原子力委員会の初代委員長を努め「原子力の父」と呼ばれた読売新聞社長の正力松太郎(⬆上右端)。財界人としてその名を馳せた「正力松太郎」は、実はアメリカ中央情報局CIAの手先だったと、正力の死後37年を経た2006年アメリカ国立公文書記録管理局が公開した外交文書によって明らかにされた。アメリカ中央情報局CIAは、戦後の日本に原子力を輸出するために広島・長崎の原爆投下による日本国民の原子力に対する恐怖心を取り除くため、読売新聞社長である正力松太郎の持つ新聞の力を利用しようと考えた。戦後日本に、テレビ放送の導入と原子力発電の導入を目論んでいた正力は、CIAと利害が一致したためお互いに協力し合うことになり、CIAから正力に情報収集対象者としてコードネームpodam」が与えられた。こうしたCIAの強力なサポートがあって、正力は「テレビ放送の父」と「原子力の父」と呼ばれる地位を得たというのだ。しかし、正力松太郎の死後、CIAの幹部は、「正力は思いのままに操れるような人間ではなく、気をつけないと、知らないうちに自分たちを利用しかねない人間だった」と語っている。CIAに利用されずに利用する、正力松太郎がCIAと手を組んだ本当の狙いは、そこにあったと思われる。