ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

87年前、船旅が嫌いなベーブ・ルースが来日したワケ。

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今から87年前、海外旅行が飛行機ではなく客船だった時代、1934年11月に野球の神様ニューヨークヤンキースの主砲ベーブ・ルースが、全米選抜チームの一員として日本へやってきた。ルースは、日本への長い船旅を渋っていたが、日本プロ野球創始者である鈴木惣太郎がルースが散髪屋にいるところへアポなしで訪れ、ルースの似顔絵を大書したポスター (⬆上写真右)を見せて説得したところ、そのポスターを大いに気に入り、来日を快諾したという。いざ訪日すると、雨天の中、番傘をさして守備練習をするなど(⬆上写真)、持ち前のショーマン・シップを発揮し、日本に野球人気を根付かせるのに一役買ってくれている。特に、ルースと直接対戦した沢村栄治が全米選抜のクリーンナップを4連続奪三振に打ち取った場面では、最初に沢村から三振に斬り捨てられたのがルースだった。この試合は気温の低い11月に行われ、ヒットで出塁したベーブ・ルースがマウンド上の沢村にセーターを着せにいくパフォーマンスを見せ、「さすがメジャーリーガーのベーブ・ルースはやることが違う」と日本の観客を感心させたという。ルースは帰国後、訪日の印象について、「何百万人ものファンが心の底から迎えてくれていることを肌で感じた。銀座の通りは何キロにも及ぶ歓迎の列が並び、英雄のような扱いを受けた」と振り返っている。第2次世界大戦の戦時中には反日感情から日本人に貰った陶器などを割ったが、終戦後にこの時の熱烈な歓迎のことを思い出し後悔していたという。また、真珠湾攻撃が信じられないとも語っていた。87年前、我が国に野球人気を根付かせるキッカケを作ってくれたベーブ・ルース、やはり野球の神様ならではのパフォーマンスだったと言えるだろう。