ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「一本背負い」の古賀稔彦が、「一本背負い」に敗れた日。

f:id:gunjix:20210324150745j:plain

身長169cmと小柄な体ながら、切れ味鋭い技の数々と豪快な一本背負投を武器に常に一本を取りに行く柔道で「平成の三四郎」の異名をとった古賀稔彦氏が53歳の若さで亡くなった。相手の前ソデをつかんで膝のバネを使って相手の体を浮かせ、片手1本で投げ落とす、その華麗なワザは見る者を圧倒する。その一本背負投の名手だった古賀稔彦氏が、25年前の1996年アトランタオリンピック選考会で、何と背負投で一本負けを喫していたのをご存知だろうか(⬆上の写真)。YouTubeでもその映像が見られるが、相手は高校教員の堀越英範氏。この試合の10年前、天理大学にやってきた古賀稔彦氏と乱取りをした堀越選手は一本背負いで何度も叩きつけられ格の違いを見せつけられた。しかし堀越選手の手首を返した崩しに一度だけ古賀選手が膝を畳に着いた。堀越は「俺の背負い投げが完成すれば古賀を投げられる」とその時思った。そして10年後のオリンピック選考会で堀越選手は、釣り手で古賀選手の前腕の手首をつかみ体をローリング(回転)させながら見事な「一本背負い」で古賀選手にリベンジを果たしたのだ。試合開始からわずか30秒の出来事だった。古賀選手は選考会で一本負けを喫したが、過去の実績からオリンピック柔道78kg級代表に選出され、本大会では決勝まで進んだが、惜しくも銀メダルに終わっている。しかし、「一本背負い」という華麗な柔道でオリンピック金メダルと世界柔道金メダル3度という古賀選手の輝かしい実績は柔道界に永遠に記憶されるに違いない。ご冥福を祈りたい。