ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

金田正一より野村克也、テレビ全局が追悼番組の理由。

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日本プロ野球界を代表するレジェンド、前人未到の400勝投手の金田正一氏(⬆上の写真左)と日本初の三冠王の野村克也氏がこの4ヶ月の間に相次いで亡くなった。昨年10月の金田氏の訃報の際にはテレビでの追悼番組はそれほどでなかったのに、野村克也氏の訃報に際して、NHKをはじめテレビ全局が追悼番組を組んだことは実に驚きだった。これほどまでに日本人に愛された野村克也氏の生き方とはどんなものだったのか。選手としての現役時代には「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと咲く月見草」と自分を表現し、禅の言葉をヒントにして「生涯一捕手」というキャッチフレーズを考え出し、当時の流行語にもなった。野村氏の名声が上がったのは、何と言ってもシンキングベースボールID野球だった。そのヒントをくれたのが南海時代のチームメートであった元メジャーリーガーのドン・ブレイザーとの出会いだった。「日本のプロ野球選手は頭で考える野球をしてない」と指摘されID野球の基礎を学んだ。その考え方を弱小球団だったヤクルトで実践し、リーグ優勝4回、日本シリーズ3回優勝の形で花開かせた。その後も、飯田哲也 高津臣吾 吉井理人 山﨑武司    などかつての輝きを失っていたベテラン選手達を指導し、次々と復活させて「野村再生工場」と呼ばれた。テスト生としてプロ野球界に入り、相手投手の徹底的な観察と分析によって日本初の三冠王を達成し、監督になれば頭を使う野球で弱小チームを優勝へと導く、「対戦する相手にどうすれば勝てるか」をひたすら研究し続けた彼の勝負師人生が、多くの日本人の心を打ち、全テレビ局が追悼番組を組んだ理由なのかもしれない。