ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

国連調査に異議アリ!「幸福度ランキング」日本はナゼ世界54位?

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国連は先月、2018年版「世界幸福度ランキング」を発表した。日本は世界のランキングで54位、去年の51位からさらに後退した。1位に輝いたのは、自然が溢れ教育費や医療費が無料のフィンランド。この調査は、各国の1000人程度に「今の幸せは10点満点中何点か?」を電話やインタビューで聞いた結果だという。国ごとの過去3年の平均値を算出し、人口当たりのGDPや健康寿命の数値なども評価に加味されているランキングだという。しかし日本がつねに50位台にランクされるのが何となく腑に落ちない。例えば、13位のコスタリカでは「生まれたからには幸せであるべきだ」というポジティブな考えが根強く、ほとんどの人が「10点」と回答し、6位のオランダは「7〜8点」と答える人が多い、その理由は「不幸」を感じて生きる事がネガティブであるという国民性がその背景にあるからだという。これに対して54位の日本では多くの人が「5点」と答えている。江戸時代の俳人小林一茶が詠んだ「めでたさも中くらいなりおらが春」の名句のように、日本人は人生というものは幸福と不幸が入り混じった五分五分のものだという考えが昔からあるため幸福度を中くらいの『5点』と回答する人が多かったからだという。ともあれ、幸福の感じ方は人によって様々であり、国連が計算で数値化してランキングすること自体がナンセンスと言わざるをえない。ある仏教学者に「幸福の程度とは、資産を『分子』に、欲望を『分母』にしてワリ算した数値である」という名言があるが、西洋ではこの『分子』である資産を大きくして幸福を増加させようとするが、東洋では『分母』である欲望を減らして幸福を増加させるという東西での考え方に大きな差があると言う。国連が発表した幸福ランキングは、まさに西洋の基準によって評価したものであり現実にはまったく意味を持たないランク付けと言えるだろう。要は、こうした数値化された国連の順位づけなどまったく無視して日本人である我々は、日本流の「幸福の感じ方」をすれば良いのではないだろうか。