大物ロック歌手として知られる矢沢永吉(⬆上写真左)が全く無名だった1970年代のはじめ、自らプロデュサーを探している中で当時のロック界の大物だった内田裕也(⬆上写真右)をある人物を通して訪れ「オレを男にしてください」と内田にプロデュースを依頼した。ところが間もなくして矢沢は自らお願いした「内田裕也へのプロデュース依頼の話」を反故にして、別のプロデューサーとタッグを組む事になった。これに対して内田は「冗談じゃねえよ」と超激怒して矢沢永吉を呼びつけた焼肉屋で、内田は矢沢をぶん殴ってやろうと待ち構えていると、そこに現れた矢沢は内田の前にキチンと正座し、「自分が悪いので、一発もらえますか」とワビながら土下座したという。その姿を見た内田は殴る意欲を失い「ここで『負けた』と思ったね。『こいつイケるな、大スターになるな』」と思ったという。このエピソードはあちこちで語られている話だが、注目したいのは、当時まだ20代前半だった矢沢の人並み外れたその「決断力」だろう。自分が「殴られる覚悟」までしてでも内田裕也のプロデュースを断り、「自ら選んだ道」を行こうと心に決めた矢沢永吉。彼が新聞の世論調査で「ヒーローと呼べる人物」にまで「成り上がる」事ができたのは、この事件からわずか5年後の事だった。