ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

ロック界のドン内田裕也が矢沢永吉に「負けた」と思った瞬間。

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大物ロック歌手として知られる矢沢永吉(⬆上写真左)が全く無名だった1970年代のはじめ、自らプロデュサーを探している中で当時のロック界の大物だった内田裕也(⬆上写真右)をある人物を通して訪れ「オレを男にしてください」と内田にプロデュースを依頼した。ところが間もなくして矢沢は自らお願いした「内田裕也へのプロデュース依頼の話」を反故にして、別のプロデューサーとタッグを組む事になった。これに対して内田は「冗談じゃねえよ」と超激怒して矢沢永吉を呼びつけた焼肉屋で、内田は矢沢をぶん殴ってやろうと待ち構えていると、そこに現れた矢沢は内田の前にキチンと正座し、「自分が悪いので、一発もらえますか」とワビながら土下座したという。その姿を見た内田は殴る意欲を失い「ここで『負けた』と思ったね。『こいつイケるな、大スターになるな』」と思ったという。このエピソードはあちこちで語られている話だが、注目したいのは、当時まだ20代前半だった矢沢の人並み外れたその「決断力」だろう。自分が「殴られる覚悟」までしてでも内田裕也のプロデュースを断り、「自ら選んだ道」を行こうと心に決めた矢沢永吉。彼が新聞の世論調査で「ヒーローと呼べる人物」にまで「成り上がる」事ができたのは、この事件からわずか5年後の事だった。