ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

希林さんが「危険なものを掴んだ」とつぶやいたロッケンローラー死す。

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ロック歌手の内田裕也さんが樹木希林さんの死から半年、後を追うように79歳で死去した。妻の希林さんが個性派女優としてあまりに偉大だったため内田さんは影に隠れた存在だったが、彼の人生は口グセでもあった日本の「ロッケンローラー」の草分けだった。1959年に日劇ウェスタンカーニバルでロック歌手としてデビューし67年に欧州に渡り海外のロックシーンを体験、帰国後は音楽プロデューサーとして数多くのロックフェステバルを主催して日本におけるロック・ミュージックの普及に貢献してきた。他にも映画出演、都知事選立候補、大麻吸引、有名女優との不倫など世間に向けてつねに話題を振りまき続けた内田さんの生き方は、傍から見れば文字通り自由すぎる人生だった。その自由な生き方に惚れ込んだ樹木希林さんと46年前の1973年、2人は34歳と30歳で結婚したのだが8年後の1981年に内田さんが区役所に一方的に離婚届を出して希林さんとの間で裁判になり離婚は無効になった。希林さんが夫・内田裕也を生涯愛し続けた理由を生前に「私の不満の人生の中で危険なものをつかんだ。この人となら生きられると思った」からと述べていたように内田さんの生き方の中には常に「危険を孕んだ」人を引きつける何か不思議な魅力がひそんでいた。希林さんの死後、莫大なその遺産の相続権を自ら放棄し、「ロッケンローラー」としての矜持を保った内田裕也さん、なるほどあの樹木希林さんが惚れ込んだ「自分勝手な人生を活きつねに危険を感じさせ続けた男」の魅力に満ちた一生涯だった、と言えるのかもしれない、合掌。