ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

NIKE創業者フィル・ナイトが語るピンチの「ナイキ」を救った2人の日本人。

f:id:gunjix:20180924011032j:plainf:id:gunjix:20180924011212j:plain

スポーツシューズの世界的なトップメーカー「ナイキ」、創業者フィル・ナイトがその創業物語を書いた「SHOE DOG」は日本でもベストセラーになった。日本の経済紙のインタビューでフィル・ナイト氏は「(今のナイキのユーザーは)皇(すめらぎ)孝之さん(写真左)、伊藤忠幸さん(写真右)のことを知らない。彼らが(ナイキの創業期に)どんな活躍をしたかを書くべきだと思ったのです」と創業期の「ナイキ」をサポートしてくれた日本人2人の名前を挙げている。フィル・ナイト氏は、当初「日本のカメラがドイツのカメラより売れるのなら、日本のスポーツシューズも、ドイツのスポーツシューズのように売れるのではないか、と考え、アメリカや世界の市場ではドイツのプーマやアディダスが市場を独占していたが、日本製のシューズが売れると確信した」ことがナイキ創業の動機だったと語る。始めは日本製のオニツカ(現在アシックス)製品を輸入し販売をしていたナイキがオリジナルデザインのシューズを販売しようと決意。しかし当時アメリカ国内での銀行融資など相手にもされなかった小さな企業ナイキ。それに手を差し伸べたのが日本の商社日商岩井の皇さんだったという。「彼は私達が急成長している事、利益の伸びが良好と判断して100万ドル(1億円)を融資してくれました」その後アメリカの銀行から口座を凍結され倒産の危機に陥った2度めの危機の際も「日商岩井の伊藤さんが迅速な判断で融資を決め「ナイキ」の倒産危機を救ってくれたのです」と語っている。こうした2人の日本人から受けた「恩義」を忘れないようにナイキの本社には「日商岩井ガーデン」と名付けた「日本庭園」が置かれている。