ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

一発屋から紅白司会者に成り上がって見せた有吉弘行の強かさ。

今から27年前の1996年、日本TV『進め!電波少年』の世界ヒッチハイクの旅で大ブレイクしたお笑い芸人有吉弘行。その後人気が急激に衰え10年後の2007年『アメトーーク!』で同じお笑い芸人の品川祐に対して世間が持っている彼のイメージを「おしゃべりクソ野郎」と表現して大爆笑を誘い、その後は「あだ名の命名」を武器にして再ブレイクを果たした。初めてブレイクした時代の貯蓄は最高時で7000万円、仕事が無くなった不遇の時代の10年間、有吉は、この貯蓄を切り崩すことで乗り切ったという。ブレイク時の収入を貯蓄していた有吉は、10年間借金することなしに過ごすことができ「そうでなければ、恐らくホームレスに転落していた。この貯蓄があったから踏みとどまれた」と回想している。大金が入っても散財せずに貯蓄し、10年間をしっかり生き延びた有吉の堅実で強かな生き方。芸人の先輩である水道橋博士は、有吉を評して「彼は本を読むだけでなく文脈も正確に読み取れる人」と語っているが、自らが、必ず再ブレイクできると10年間もの不遇な時代に有吉はすでに読み取って居たのかも知れない。毒舌キャラで再ブレイクした有吉だが、その毒舌テクニックについて、同じ芸人の千原ジュニアは「有吉は毒舌を言った後に絶対に笑う」と言い、ムチ(毒舌)とアメ(笑顔) を上手に使い分けて相手を本気で怒らせない有吉の強かな芸風を見抜いている。強かさが無ければ芸能界では生き残れない、国民的番組NHK紅白歌合戦の司会という大役を掴んだ有吉弘行は、まさに強かさの「極み」と呼べる芸人だ。