ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

パリで起きた北大路魯山人の、怪しい味覚事件。

昭和の「美食家」として知られた芸術家北大路魯山人、その彼の味覚が何とも怪しいというエピソードについて小説「野火」で知られる作家の大岡昇平が「巴里の酢豆腐」というエッセイに記している。今から69年前の1954年、大岡氏は、当時パリで活躍していた画家の荻須高徳と北大路魯山人の3人(⬆上右写真、左から大岡氏・魯山人・荻須氏)で、鴨料理で有名な三ツ星料理店「トゥール・ダルジャン」(⬆上左写真)で食事をした際に、その事件が起きた。トゥールダルジャンでは、名物の鴨料理を出す前に、一旦焼いただけの鴨を客に見せ、それを再度厨房に持ち帰って味付けをする。ところが、魯山人は「それに味をつけることは、余計な手間だ。鴨の持味を殺すようなものだ。そのまま横腹を切って来い」と言い、これに驚いた支配人に画家の荻須高徳さんが「彼は東京の一流料理店主だから」と説明し、味付けする前の鴨をそのまま出させて、日本から持参した醤油と粉わさびで、ただ焼いただけの鴨を「うまい、うまい」と食べたという。しかし、魯山人が食べた鴨は、客に見せるためのサンプルであり、焼いてから時間が経ってすっかり冷めていて美味しいわけがない。大岡は、サンプルの冷めた鴨をわさび醤油を付けて「うまい、うまい」と食べた魯山人を、腐った酸っぱい豆腐を食べて「これは酢豆腐という珍味である」と知ったかぶりをして恥をかく落語「酢豆腐」に出てくる若旦那に例えて「巴里の酢豆腐」と皮肉っぽいタイトルを付けて魯山人を揶揄したのだ。