今から165年前の江戸の街は、豊かな緑の樹木や美しい季節の花々に囲まれた街だった ⬆のをご存知だろうか。1858年(安政6年)に江戸に赴任してきイギリス公使のオールコックは始めてみた江戸の街の印象について「(江戸は)冬でも景色が美しく、広い谷間のふところに抱かれている。ゆるやかな坂が多く、緑の森に囲まれている」と書き記し、イギリスの植物学者ロバート・フォーチュンは江戸の町をみて、「樹木で縁取られた静かな道や常緑樹の生垣などの美しさは、世界のどの都市も及ばないだろう」と驚き、古代トロイ遺跡の発掘で有名なハインリッヒ・シュリーマンも幕末に日本を訪れ、「日本人は皆優れた庭師である」と賞賛した。江戸を訪れた外国人が口々に称賛した世界にも類を見ない「ガーデンシティ江戸」はどのようにして成り立ったのか。その理由は、江戸を開いた徳川家康は大の「園芸好き」で知られ、その趣味は歴代の将軍にも受け継がれ、各大名もまた武家屋敷の中に次々と美しい庭園を築いていった為だ。江戸の武家屋敷は町人の住む長屋に比べて圧倒的に面積が広く、当時の江戸の町の8割は武家屋敷で、残り2割の区域に一般庶民が住んでいたとされる。外国人の目に江戸の街が「ガーデンシティ」と見えたのは、圧倒的に多かった武家屋敷の緑豊かな佇まいが目に映ったからなのだ。