ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

大河ドラマや新1万円札の「渋沢栄一」なぜ教科書に載らなかった。

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今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で3年後の2024年度に発行される新1万円札の肖像にも採用される予定の渋沢栄一。にわかにクローズアップされた偉人だが、なぜ多くの日本人は、渋沢栄一の功績について知らないのだろうか。「そんなに有名な人なの」「何をした人なの」「学校の教科書に載ってなかったよね」の声がSNS上にひんぱんに挙がっている。渋沢栄一は1867年主君であった最後の将軍徳川慶喜の弟昭武のフランス留学にお供として付き添い、フランスに2年近く留学した。渋沢は、パリで銀行家フロリへラルトと出会い、江戸時代の日本には存在しなかった「銀行」とは何か、「株式」とは何かなど「資本主義」について「自由経済」についてのほとんど全てをパリに居た2年の間にフロリヘラルトから完全に習得した。帰国後、この時に得た知識と経験を基にして渋沢栄一は日本の金融制度、株式会社制度を確立し、日本における「資本主義の父」と呼ばれるようになったのだ。つまり武家社会で「士農工商」の中で一番蔑まれていた「商業」を近代日本の成長の礎に据えた人物なのだ。その彼の知名度がなぜこれほど低かったのか。その理由は、彼が掲げた「論語と算盤(ソロバン)」という主張のためだった。論語=(道徳)と算盤=(利益の追求)は「相反する」という考え方が一般的だった世の中で、渋沢はこれでは社会の発展はなく、この2つを両立させることで日本は繁栄できると主張した。こうした渋沢の「利益追求思想」つまり「ソロバン勘定」は教育的には不適当と考えられ、彼の功績はつい最近まで学校の教科書には採用されず、彼はほとんど無名のままだったというわけだ。士・農・工・商の身分制度の考え方が、21世紀の現代日本にもまだ生き残っていたというれっきとした証拠だろう。