ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

ケネディ暗殺の5年後、妻ジャクリーンはなぜ急ぎ再婚したか。

1963年11月22日金曜日、テキサス州を遊説中の現職の第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディダラス市内をパレード中に銃撃され、死亡した歴史的な暗殺事件。世界が衝撃を受け深い悲しみの中で行われ た国葬。ミサが行われた後に大聖堂の前で、墓地へと牽かれていくケネディ大統領の棺を見送る場面。ジャクリーン夫人が、この日3歳の誕生日であった幼い息子ジョン・ジュニアの耳元で何かをささやくと、ジョン・ジュニアは前に進み出て、父の棺に向かって小さな敬礼をして父に最後の別れをした⬆。この場面は世界中の人々の涙を誘った。しかし、この悲しみの「別れ」からわずか5年後、ジャクリーンが20歳も年上の世界一の大富豪オナシスと再婚し、世間は再び驚かされた。夫ジョン・ケネディの死後、ジャクリーンのもっとも大きな不安は子供たちの安全の確保だった。1964年末にシークレットサービスの警護が終了し、不安は増すばかりであった。その不安は夫の弟ロバート・ケネディ暗殺1968年6月5日)によって頂点に達した。その頃、妹の紹介で交際していた世界一の大富豪オナシスとの再婚によって子供たちの身の安全を守ろうとジャクリーンは出国を決意、翻意を促す周囲の人々の制止を振り切って子供たちを連れてオナシスのもとに向かったのだ。オナシスはジャクリーンの子供たちを可愛がったが2人の関係は愛情に結ばれているとは言い難く、年々冷え切った関係となり結婚から7年後1975年3月にオナシスがパリで死去した際、ジャクリーンは、遠く離れたニューヨークに別居していた。ジャクリーンがオナシスとの再婚によって命を守った子供達は、長女キャロライン(⬆上写真左)が外交官、長男ジョン(⬆上写真右)が弁護士とそれぞれ立派な大人へと成長した。