ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

貧しいフジコ・ヘミングに神様が返してくれた20マルク。

フジコ・ヘミング⬆は、スウェーデン人の父と日本人の母のもと、ベルリンに生まれ、5歳でピアノを始め東京藝術大学卒業後、29歳でベルリン音楽学校に留学。その後、ウィーンで巨匠レナード・バーンスタインに認められデビュー予定だったが、その直前に聴力を失うアクシデントに見舞われ、以降ヨーロッパで不遇なピアニスト人生を過ごした。母の死後63歳で日本に帰国、1999年NHKテレビで『フジコ・ヘミングのピアニスト人生』が紹介されると、日本デビュー版CD『奇蹟のカンパネラ』が200万枚を超える大ヒットに。2001年にはニューヨーク・カーネギーホールでコンサートを開催、60歳を超えて漸く一流ピアニストになれたのだ。フジコ・ヘミングは「私は確かに夢を持ち続けた。神様はちゃんとそれを見ていてくださって、いま分け前を与えてくれたんだと思う」と語り、貧しかったドイツでの暮らしでの「ある体験」を語った。「あるとき、ショーウインドーですごく気に入ったセーターを見つけたの。聞けば40マルクだという。食べるのに困っていたけど、たまにはいいかと思って、そのときは持ち合わせがなかったから「明日来るからとっておいて」と頼んでお店を出たらジプシー(浮浪者)の少年が寄ってきて、お金をくれと言う。その目がとても純粋に澄んでいたものだから20マルクあげちゃった。これでは暮らしていけないと思ったけど、お店には買うと約束したんだから、仕方がない。次の日出掛けていきました。すると、前とは違う店員がいて、そのセーターは20マルクだという。ああ、私が少年に20マルクあげたのを神様が見ていて、ちゃんと配慮してくれたんだな、と思いましたね」。貧しい彼女に神様が返してくれた20マルク、フジコ・ヘミングが言うように「幸福と不幸は半分ずつ、一生幸福な人はいないし一生不幸な人もいない」のだ。あなたも、YouTubeで神様に救われたフジコ・ヘミングの澄んだカンパネラ(小さな鐘)の音をご視聴あれ。