ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

M・ジャクソン「スリラー」に曲使用を断ったY.M.O坂本龍一。

キングオブポップとしての名声を欲しいままにしたロック界の巨星マイケル・ジャクソン。その彼の代表作「スリラー」⬆。1980年、マイケルはアルバム『スリラー』の収録曲候補の一つとして日本のYMOの作品「ビハインド・ザ・マスク」を気に入り、YMOの坂本龍一氏に連絡を入れてきた。この曲を作曲した坂本龍一氏は、YMOの欧米でのツアーでこの曲だけに「ロックを感じる!」と観客がダンスを始めるのを見て「なぜなのか」とずっと考えていた矢先のマイケルからのオファーだったという。「ビハインド・ザ・マスク」の使用についてマイケル側と坂本氏のやりとりについての様子を阪本氏が当時のラジオ番組の中でこう語っている。「まずマイケル側が「出版権」を100%譲渡しろと言ってきた。聴かせてもらって、なるほどマイケルヴァージョンがこういう風に変へているのかと納得できればそれで良いんですけれど、テープを聴かせてくれと何度も言ったんですが、未発表曲をリリース前に外に出せないと言われ、その結果、交渉が壊れちゃったんです」。「ビハインド・ザ・マスク」の作詞を手掛けたクリス・モスデル氏にも「マイケルが新しいメロディーと、少し歌詞を加えて『ビハインド・ザ・マスク』をレコーディングしたい、そのうえで印税を半分に分けようと持ち掛けてきた『ありえない』と思ったよ」とモスデル氏も語り、両者の交渉は決裂した。『ビハインド・ザ・マスク』の収録を断念したマイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」は、その後1億何千万枚を売り上げる驚異的アルバムとなり、「印税を半分に分けよう」と言うマイケル側の提案を断ったことについて「今考えると、しまったなと…」と後悔したという坂本龍一氏の後日談が残されている。しかし、YMOの「ビハインド・ザ・マスク」は、マイケルの死後、生前の未発表曲を集めたアルバム『マイケル』の中に無事に収録されたのだ