ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

寂聴さん、3度の不倫で必ず守っていたルールとは。

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99歳で大往生を遂げた小説家の瀬戸内寂聴さん。人生の半分50歳までは不倫を繰り返し、「子宮作家」という汚名を着せられていた(⬆当時の写真)。寂聴さんの最初の不倫相手は夫・酒井悌氏の教え子の21歳の文学青年とで寂聴さんは25歳だった。2回目の不倫は29歳の時に文学同人の先輩だった妻子持ちの作家・小田仁二郎氏に自分の小説の原稿をみてもらったことで不倫関係になった。寂聴さんの3回目の不倫相手は妻子のいる有名な小説家の井上光晴氏、寂聴さん44歳の時だった。人生3回の不倫について寂聴さん84歳での随筆『あの世 この世』のなかで、こんなふうに回想している。「私の場合は、いわゆる今の言葉で不倫ですが、相手に妻子がある場合がありました、何度かね。その場合、天地に誓って一度も相手の家庭を破壊しようとか、(家庭から)引っ張り出して一緒に住もうなんて思わないんですよ。少なくともその礼儀は守っていたから、自分はあまり悪くないように思っていたの。でも相手の家庭をやっぱり傷つけていたことが、今頃よくわかって懺悔しています」。不倫相手の家庭までを破壊しようとは決して思わず、「礼儀は守っていたから、自分はあまり悪くないように思っていた」という若い頃の寂聴流の不倫ルール、つまり、相手の奥さんが知らなければ心穏やかでいられるという、いわゆる「知らぬが仏」というのが若いときの寂聴さんのスタンスだった。その後51歳で出家して仏に仕える身となった寂聴さん、不倫によって「やっぱり相手の家庭を傷つけていた」と悟ったのは、本当の「仏の心」を知ったからに他ならない。