ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「私はたぶん、今年、死ぬでしょう」100歳寂聴さんの予告。

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朝日新聞のオンラインメディアAERAdot.で画家の横尾忠則氏(85)との往復書簡を連載している瀬戸内寂聴さん⬆。今年1月、寂聴さんはこの書簡の中で「私はたぶん、今年、死ぬでしょう」と予告している。自分の死について予告した部分を抜粋すると「私はこの正月で、何と数え百歳になったのですよ。『百歳のおばあさん』です。まさかねえ、百まで生きるなんて、世の中には何がおこるかわかりませんね」「少女時代には文学少女になり、自殺に憧れ、汚い老婆になる前に、さっさと自分で死んだ方がいいとさえ思い始めていました。ところが、思わぬ長生きをして、まさか百歳になるなんて……」「今では漸(ようや)く、自分の死後について悩まなくなりました。私はたぶん、今年、死ぬでしょう。百まで生きたと、人々はほめそやすでしょう。目を閉じた私は、それから、どの星へ移るのでしょうか。その旅は何が運ぶのでしょうか」と綴られている。『百歳のおばあさん』と自分を客観視できる寂聴さんの明晰すぎる100歳の頭脳にまず驚かされるが、「今年、死ぬでしょう」という予告は「たぶん」というカッコ付きだ。さらには、自分が「どの星へ移るのか、その旅は何が運ぶのか」と死後のイメージまでふくらませている。「私はたぶん今年死ぬ」とあっけらかんと予告してしまう寂聴さん、そのポジティブな発想こそが、1世紀を生き抜いた「秘訣」と言えるだろう。