日本のファッション界に大きな影響を与え、家具、香水、生活雑貨にいたるまで60年代〜70年代の日本にカルダンデザインを浸透させたピエール・カルダン氏(⬆上写真左)が98歳で亡くなった。カルダン氏は、60年代に高根の花だったモードを一般の女性に広めようとプレタポルテ(既製服)に進出し、さまざまなアイデアを繰り出していった。白人が主流だったパリコレの女性モデルに、世界中の女性にモードを届けたいというカルダン氏の強い意志から、日本人モデル松本弘子(⬆上写真右)をデビューさせたり、モード後進国だった日本にゆったりとしたAラインのワンピースや身にまとう人の体型や肌の色に関係のないカルダンデザインの服は驚きを持って迎えられた。カルダン氏によって1960年 パリ・コレクションのファッションショー でデビューした松本弘子のランウェイについて「重力を感じさせず、まるで天女のように歩く」と高く評価した。有色人種を積極的に起用した理由について、カルダン氏は、「服をデザインする時、体のサイズは考えない。人種のことも考えない。考えるのは体がまとう“ドレス”のことだけだ」と語っている。カルダン氏は、98歳での生前最後のインタビューで 「私は、インターネットは使いません。私は、世界中を旅し、自分が望んだものは、すべて手に入れてきました。みんなに満足してもらえるような仕事ができて楽しかったです」と自分の充実したデザイナー人生を振り返った。ご冥福をお祈りしたい。