ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

あのデビッド・ボウイをトリコにした山本寛斎氏逝く。

f:id:gunjix:20200727152407j:plain

国際的なファッションデザイナーで、伝説のロッカー、デビッド・ボウイの衣装デザインを手掛けた山本寛斎さんが、白血病のため76歳で亡くなった。山本さんがボウイに提供した衣装でも特に有名なのが、「トーキョーポップ」のジャンプスーツ  ⬆ だ。かつては日本の武士の装束で今でも武道家などが身に着ける袴の形を取り入れた黒と白の奇抜なデザインの衣装だった。ファッション史家のヘレーン・サイアンさんは、ボウイは「両性具有的な美しい顔と体の持ち主」として有名で、それが「山本寛斎のユニセックス・スタイルにぴったりだった」と指摘している。若い頃の寛斎さんは、「私はデザインのインスピレーションは、ファッション誌ではなく音楽雑誌から受けていた」と語り、当時、意欲的に活動していたイギリスのミュージシャンに注目し、ロンドンでのコレクション発表でデビューし、それが後にデヴィビッド・ボウイの衣装を手がけるきっかけへとつながっていった。2年前74歳のインタビューで、寛斎さんは「私の活動理念として『前例がないこと』ということが第一です。他人がやったことがないことを自分が初めてやるということにモチベーションの根幹があります。それと、とにかく行動を起こすということ。さらに、『そこまでやるか⁉』というところまで突き詰めるものだと思っています」と、デザインについての取り組み方について語っている。寛斎氏の訃報に異母弟の俳優・伊勢谷友介さんがインスタグラムに追悼メッセージを投稿。「兄が病床で最後に僕に聞いたこと。『俺の生き方、どうだ?』僕は慌てて『凄いです。世界のファッションに早くから挑戦して、イベントの演出家として大きなショーを現実にしたことも」と告げると寛斎さんは満足気に小さく頷いたという。心からのご冥福をお祈りしたい。