ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

プライドを捨てて巨匠になった大林宣彦監督が逝去。

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「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」などの名作で知られる映画界の巨匠である大林宣彦監督(享年82)が亡くなった。自主制作映画のために大学を中退し、8ミリや 16ミリで映画を制作し1963年25歳で初の16mm作品でベルギー国際実験映画祭で審査員特別賞受賞した彼が、なぜ日本を代表する映画監督にまでなり得たのか。それは映画監督としてのプライドを26歳の時に捨てたからだった。今から56前の当時、映画監督にCM製作を依頼すると「俺に物売りをやれというのか」と激怒された時代、大林さんは映画監督としてのプライドを捨て、どの映画監督も手を出さなかったCM制作を引き受け「CM界の巨匠」とまで呼ばれた。日本で初めて世界の映画スターをCMに起用し、ソフィア・ローレン、カトリーヌ・ドヌーブ、カーク・ダグラス、キャサリン・ヘプバーン、そしてCMが大ヒットしたスポンサーが商品名と同じ名前に社名を変えた男性化粧品「マンダム」のチャールス・ブロンソンの起用(⬆上の写真右が大林監督)など多くの話題を生んだ。こうしたCM界での実績を土台に大林監督は39歳の時に、35ミリ劇場用映画に監督として遅まきながら進出を果たしたのだ。いきなりメジャーの東宝映画で監督デビューというのは画期的であったが、撮影所の助監督経験のない大林さんが監督することに、当時の東宝の助監督たちが猛反対し たという。その後の大林監督の活躍は周知の事実だが、大林さんが残した言葉に「幸福に生きる秘訣は、自分のいちばん好きなことをして生きる、ということに尽きる」という名言があるが、名匠になる道をプライドを捨て、好きなことをしながら自らの力で切り開いた大林監督「どうぞ安らかに」と合掌したい。