ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

日本人作家をノーベル賞に近づけたドナルド・キーン氏逝く。

f:id:gunjix:20190224165210j:plain

「日本人と共に生き、共に死にたい――」東日本大震災の直後、日本国籍を取得したアメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん96歳が文字通り日本の地、東京台東区の病院で天寿を全うした。吉田兼好から太宰治や三島由紀夫までを次々と英語に翻訳。キーンさんの功績なしに、日本文学が世界中で読まれるようにはならなかったことは明らかで、ノーベル文学賞に日本人作家をもっとも近づけた翻訳者といっても過言ではないだろう。事実、ノーベル財団が1960年代公開したノーベル文学賞の選考資料によるとドナルド・キーン氏が日本人文学者を選考するに当たっての「参考意見」を求められていたことが明らかになっている。キーン氏はなぜこれほどまでに日本を愛し日本人の心に同化するようになったのか。太平洋戦争の最中、アメリカ軍の日本語通訳官となり敵国である日本兵の情報分析係として各地の戦場に赴き、そこで出会った様々な日本兵の姿から日本人に深い興味を抱いたのだという。キーン氏は、それまで軍国主義の「悪い国」である一方で富士山や芸者や浮世絵などから連想される「美しい国」と2つの矛盾に満ちた国がニッポンだと思っていた。ところが日本兵の様々な捕虜に接し、日本兵の家族に宛てた手紙や日記を読み、胸を打たれ、日本への思いを強くしていったと言う。「日本兵の日記や手紙を読まなければ、私は日本の文学に深い関心を持たなかったかもしれない」と後にキーン氏は語っている。そして戦後、家を焼かれ家族を失った人々が上野駅で整然と疎開列車を待つ姿を見て「私はこの人々と生きこの人々と共に死にたい」という若い日本人作家の文章に触れてキーン氏は非常に感銘を受けたとも語っている。キーン氏が「日本人と共に行き、共に死にたい」と思ったのも、ニッポンが「美しい国」であり「心優しい人々が多く住む国」だったからに相違ない。