ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「パリは燃えているか?」誰が誰に対して言ったコトバなのか?

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第2次世界対戦でヒトラー率いるナチス・ドイツに占領されていたフランス・パリが1944年8月にアメリカ・フランス連合軍によって4年間のナチスの占領から解放された。この歴史ドラマはパリ解放から22年後、IS PARIS BURNING?(パリは燃えているか)のタイトルで米・仏合作で映画化されアカデミー賞・ゴールデングローブ賞を受賞している。この映画のラストシーン、電話機から外れたままになっている受話器を通して聴こえてくる「パリは燃えているか?」と叫ぶ声の主は一体誰が誰に向けて発したコトバだったのか。映画ではナチスのパリ防衛軍司令官に向かってヒトラー総統が電話で尋ねた声だという設定だが、実際は映画とは違いパリでのナチス軍敗色濃厚な戦況に苛立ったヒトラーが、自分の出した「パリ廃墟命令」が実施されているかどうかを確認するために同じ作戦本部に居た最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードル大将に向かって「Brennt Paris?(パリは燃えているか?)」と3回にわたって叫んだというのが真実だという。「芸術の都」パリを炎上せる事に最後までこだわったヒトラー、ナチスのパリ防衛司令官コルティッツは最前線に居ながらこのヒトラーの命令を無視し続ける一方、敵であるフランス軍側には「パリを火の海にする」と威嚇しつつ交渉を続けてパリ市内での大規模な市街戦や都市破壊を実施しないまま全面降伏した。後に芸術の都「パリを戦火から守った男」と呼ばれたナチスのコルテッツ将軍、パリ解放の3年後には釈放されその19年後1966年に71歳で故国ドイツで死去している。今や昔「パリを燃やさなかった男」コルテッツについて知る人は少ない。