ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

映画の鬼才キューブリック、なぜ黒澤明に返信しなかったのか。

2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』など多様なジャンルで芸術性の高い革新的な映画を作り、映画史における最も偉大で影響力のある映画製作者の一人として度々言及されるスタンリー・キューブリック⬆。その彼が、1975年、18世紀のヨーロッパを舞台に撮り上げた歴史映画「バリー・リンドン」。キューブリックは、時代考証はもちろん、ライティング、美術、衣装に至るまで、完璧主義者である彼は見事に18世紀を再現してみせている。またこの時代の雰囲気を忠実に再現するため、ロウソクの光だけで撮影することを目指し、NASAのために開発された特殊レンズを探し出して使用したりもした。この映画を見たやはり完璧主義の映画製作者として知られる日本映画界の巨匠、黒澤明監督は、この作品の正確な時代考証を高く評価し、キューブリック宛に作品を激賞する手紙を送っている。しかし、キューブリックは黒澤宛の返信の内容に大いに悩み、いざ返信を出そうとした頃には黒澤監督はすでに他界し、その6ヶ月後にキューブリックも急逝してしまったのだ。筆まめで知られたキューブリック、1960年には黒澤と同年代の巨匠イングマール・ベイルマンに「あなたの映画は常に、私の心を揺さぶった。作品の世界観を作り上げる巧みさ、鋭い演出、安易な結末の回避、完璧なほど人間の本質に迫る人物描写において、あなたは誰よりも卓越している」と激賞する手紙を送っている。その彼が、なぜ黒澤宛の返信を遅らせたのか。彼の死後、キューブリックのアシスタントを務めたフルーウィンが、キューブリックは黒澤を偉大な映画監督の一人と考え高く評価していたと証言、つまり、キューブリックは黒澤をリスペクトし過ぎていた余り、怖れ多いと手紙の返信に躊躇していたのだと思われる。